賽の河原

少し横になるわ

涙ではなく嗚咽

危なかった。映画館で嗚咽しそうになって危なかった。本当は歯止めをかけずに嗚咽したかったが、恥ずかしかったりしたから頑張った。

 

原因は「ルーのうた」なのだが、感想を書くのが難しい。

 

とりあえずクライマックスで同監督の『カイバ』の3話のピアノシーン並に胸と涙腺をガンガン打たれた。隣に座ってたヤバい感じのお兄さんもヒックヒックしてた。エモい。なんか幼さみたいなところに響いてくる。夢の中だと割と感受性と感情が剥き出しの敏感なことが多いがそんな感じになってしまう。いちいち琴線に触れる。

 

(改)

 

数日、他人の感想を読んでなるほどな、となっていた。かと言って今さら語ることもない。ブックマークをつけたところ(物語る〜)では、様々な個々の事象をなぜそれがそこにそうあるのか、という問いから「テーマ」にうまく統合させていってて頭がいいんだなあ、と思った。自分はそれが演出だと思わないでスルーすることも多い。象徴(見立て)とかはっぱりわかんないし。何かを意味してるんだろうなという引っかかりがあっても放置するし。怠惰だ。

 

(改改) 6/17

日が空いたが、劇場もほとんどを終わってしまったし、そろそろ簡易に感想的なものを書いておく。どんな面白い切り口でやれるかとか考えたけれど全然思いつかなかったし、そもそもそれは別に目的ではない。そういうのはもっと面白い人や頭のいい人がやればいいし、もうあらかたやってしまっている。ように僕には見える。ありきたりなものだろうが、意味がないわけではない。

 

他人の感想をもとに思い出しながらメモ帳に書き付けた単語を挙げて、それに説明をつける。考えたことには他人の感想の影響が少なからずあるが、自覚的なものは元ネタを示す。

 

その前に、面白かった感想はブクマをつけた「物語る亀」、あとはGoogle検索で2ページ目までに出てくる人たちの中では(怠惰だから2ページ目くらいまでしか使わない)、「さめたパスタと〜」の記事は掴みにくい心情の流れの整理やテーマ、構造への言及が面白かった。「青春ゾンビ」という人の感想も。他にはフィルマークスの感想も流し見たけど、それは特に。ところどころ参考になる点はあったけど。

 

本題

「 オープニング」

どれどれどんなもんかなとふわっと入って来た僕をぶん殴る最高のオープニング。すでにニッコニコ。このシークエンスはめちゃくちゃうまいと思った。

 

「童心」

オープニングで既に童心を呼び起こされた感覚があった。童心というか、素朴な感覚というか。かつて持っていたけど最近は使ってない懐かしい感覚、みたいなものが呼び起こされて映画中、機能していた。それでクライマックス泣いちゃうんだと思うんだけど。今まで見た湯浅アニメはどれも感傷的になってしまった。

 

(ところでオープニング見てるとちびまる子ちゃんを連想したけど、なぜだろう。)

 

「生っぽさ」

この単語を書いて思い出しながらどきっとしたのが夜の公園(?)のシーン。出戻りの女の人(? 名前を忘れた)だかが誰だかとがっつりキスしてるところ。普通にセックスを感じてショックを受けた。突然、違うものが打ち込まれたような違和感があったが、でも同時にこの感覚ってリアルだなと思った。セックスって昼間の生活と地続きにあるっていう感覚。どっちもひとりの人間の中にあるという感覚。カイはあまり驚いてなかったけど、自分の中高生の頃を思い出すと、二つの世界に齟齬を感じて

全然本筋に関係ないけど。

他の場面でもそういう生っぽさを感じる。

 

(そこから昼と夜、光と陰の対比ってのも注目すると面白いかもしれない。)

「童心」も合わせて湯浅作品を語れるほど見てないけど、見た範囲だと、共通してこれは感じる。生にセックスや暴力、死がべったり張り付いてる感じ(うまく言えない)、俗っぽさっていう言葉にも繋がるかもしれない。

 

「舞台設定」

 

「回想」「記憶(の奔流)」

カイバの3話を思い出しながら

「忘れたくなかったことは覚えている」

 

 

 

 

途中だけど眠いから一旦更新